Star Wars Episode VII

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時事の話題で記事を書くことも珍しいのだが、仰天するとともに期待と不安がないまぜになったたった今の想いを記しておきたい。

不安とは、ディズニーの指揮下で作られる Episode VII が果たしてルーカスの当初の構想にあった9部作の第7部であるのかどうかだ。ルーカス自身はディズニーのルーカス・フィルム部門のクリエティブ・コンサルタントになるそうだ。だから9部作の復活かというとそうともいえない。ルーカス自身が Star Wars 6部作をアナキン・スカイウォーカーの堕落と贖罪の物語と言いきってしまっているからだ。旧構想とは別の、世界観を受け継いだ新たな物語が始まってもふしきではない。

しかし、現代のアメリカ神話としてのスターウォーズは、どうにも半端なところで終わっているのだ。神の力を受け継いだ男女の双子が登場すれば、多くの神話では禁忌を犯して結ばれ、そして誕生した子供が次世代の (悲劇の) 主人公となる。「ニーベルングの指輪」では神とヒトの息子・娘が結ばれ、その息子が神と同じ血の濃さを持った (ヒトと同じ血の濃さでもある) かのジークフリートである。「現代のアメリカ」でつくられた神話では「知らずに結ばれた」がギリギリで認められるかどうかだろう。Episode VI で互いに兄妹と認識したルークとレイアが、あえてこの禁忌に挑戦することは難しい。あるいはアナキンの孫世代どうしの結婚から生まれた曾孫世代ならなんとか倫理的にもいけるかもしれない。かねてより感じていた半端感は、「フォースの再集中」への期待が満たされていないことによるものだ。

しかし、よく考えてみれば主人公の血統よりも、ダークサイドの皇帝亡き銀河系で何と戦うか、の方が問題だ。少なくとも、シミから始まるスカイウォーカー一族が主人公であるならば、彼らはフォースとヒトの意志を仲介する寄生生物 (細胞内小器官となっている) ミディ・クローリアンと対決しなくてはならない。スカイウォーカー一族は、ミディ・クローリアンのもたらした「フォースの集中」に人生を翻弄されてきた。アナキンに至ってはフォースの集中さえなければ生まれてこなかったのに。しかも、また、ミディクローリアンは「フォースのバランス」に関心があるようだが、このバランスを得るために多くのジェダイとシスが戦い、傷つき、倒れていった。ミディ・クローリアンこそは諸悪の根源ではないか。シリーズ第三部は、ジェダイの騎士が騎士でなくなるための戦い、そしてフォース使用者なき銀河の誕生が描かれてほしいものだ。

以上、よく考えてみれば「ぼくのかんがえたすたーうぉーず」でした。


作成: 2012-10-31 14:04:24.0更新: 2012-11-01 14:38:59.0
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