iOS の来し方

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iOS (Apple の iPad/ iPod / iPhone の OS ) ってどうやって発達してきたのだろう。1.8in HDD に音楽再生用の最低限のチップを組み合わせたような初代 iPod の機器制御用の単純な OS から、どのように現在の姿に発展しきたのか。よく考えてみれば、WIndows NT 以降新規開発された OS なのではないか。その実態を知りたいと思った。

埋没する初代 iPad
初代 iPad を持っていのだが、iOS のバージョンアップからは見放されているので、別の OS を入れてみてもいいかな、と思っている。そういうときに「管理権限」がほしくなる。

結果から言えば、iPod とともに発展してきた、というのが誤認で、iPhone/iPod touch とともに「デビュー」のである。残念ながら新規開発ではなく、Mac OS X をスマートフォン向けに改装したものなんだそうだ。

Mac OS X といえば Linux ベースだから、結局 iPhone と Android は OS 的には兄弟だったのかと思ったが、これまた誤認であった。Mac OS X は Mach で NEXTSTEP の流れを汲む BSD 系の Unix だ。そうなると、スマートフォン用の OS は、Android / Linux 対 iOS / BSD という往年の UNIX 系の Free OS 対決みたいなことになっていたのか。

iOS は BSD か... ということを認識した途端に脳裏に浮かんだ言葉が「iOS は不潔だ」であった。以下にあるように考察してみると「不潔」は言い過ぎだし、同じ文脈で Android も「不潔」であるのだが、そもそも何故そのような嫌悪感を抱いたかというと、super user / root / 管理権限の問題なのだ。

初めて Unix に触れたのは、富士通 M-780 メインフレームの仮想計算機上で動いていた Unix UX/M で、ユーザ権限の範囲で使っていた。やがて Sparc 4 互換機をいじるようになり、Linux を使いはじめると、管理者権限を行使できるようになった。Windows も、NT系なら、管理者権限とユーザ権限は切り離されいているのである。しかし、それをあまり意識させないようなユーザ I/F の造りになっている。Windows および Linux の管理に関するユーザ I/F の公私というか権限混同だって不潔と言えるのかも知れない。

iOS では、ユーザには BSD のsuper user としての管理権限はない。よく考えてみればないのが当たり前なのだが、ユーザが自動的かつ無理矢理に管理者でなくてはならない OS に慣れると、ユーザに管理権限ないことが不自然に思えてしまう。「iOS は不潔」と思った理由の 20% ぐらいはこの管理権限の問題なのであって、ユーザが管理しなくとも管理者が管理 (頭痛が痛い) すればよいのだからこの点は不当な言いがかりである。残りの80%は「えぇっ、ならば apple.com に管理されているの、イヤッ」という理由だ。

ふつうのユーザからすれば、インターネットにつながるコンピュータの管理は重すぎる責任だ。専門家がそれを行うのは正しいのかも知れない。だから、iOS や買ったままの状態の Android のように、管理権限をユーザに持たせないのは正解なのだろう。一方で、BSD (Berkeley Software Distribution) の Berkeley はカリフォルニア大学のバークレー校で、開発が進んだ 1970年代後半は学生運動の遺風とヒッピー運動の時代だ。だから、IBM や DEC の OS に対して、BSD には反骨と自由の文化が感じられたものだった。自由には責任を伴い、OS の場合には管理責任ということになるのだが、その管理責任を放棄して、企業という官僚機構に委ねるのは、どこか BSD の文化と相容れないもののように思う。それが iOS が BSD の流れを汲むことを知った時に感じた「不潔」という印象の正体なのだ。


作成: 2014-03-30 20:04:52.0更新: 2014-03-30 20:04:52.0
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