24年の時を経てようやくマクロス7を見る

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放送が始まったのが1994年の秋ということなので、かなり長いこと気になってはいたもののついぞ見る機会を持たなかったマクロス7をようやく通して見た。東京のキー局では日曜日の昼に放送されていたというのに、情報をキャッチし損ねたのか、途中から見ることになったのだが、途中から見るとこれが本当にあの「マクロス」の後継か、というとんでもなさになる。

今回、最初から見てみるとそのとんでもなさをフォローするナレーションやエピソードもあって、そういう設定なら(それでも無茶はあるけれど)受け入れようか、と思える。しかし途中からだと、宇宙空母やら人型に変形する戦闘機やら、旧「マクロス」から諸設定を継承しているかに見えて、それを台無しにするかのような荒唐無稽さが強調されてしまう。」

ここからは、作品の内容・結末の記述を含む。荒唐無稽というか違和感の一つ目は、敵宇宙人…というか、異次元存在の名称だ。「プロトデビルン」は何とかならなかったのか。「プロトデビル」や「プロトデーモン」ならまだ良かった。プロトデビルンでは語尾の「ルン」の愉快感が間抜けだ。

さらに問題なのはそのデザインだ。外見は銀河系の古代文明の超兵器生命体という設定なのだが、残念ながら魅力に欠ける。マクロス7放映終了の翌月から「新世紀エヴァンゲリオン」が始まる。そこに登場する「使徒」のようなデザインのプロトデビルンであれば、と惜しまれてならない。最終ボス「ゲペルニッチ」はそれらしくもあるのだが。とにかく、中盤に登場するガビル・グラビル他のデザインは、当時も今も「どうしてそうなった」感が満載だ。

最後に、「歌エネルギー」を設定して「歌の兵器化」をしてしまったのはマクロスの世界観的にどうか。「ミンメイ・アタック」が成立するのは歌が兵器として有効だったのではなく、文化の象徴として歌があり、それが文化への憧憬と畏怖を持った敵に有効だった、ということのはずではなかったか。原作者には「マクロス」映画版で文化を拒絶する最終ボスを火器で滅ぼすことへの残念があった。兵器として有効な歌唱には「ハートが必要」という設定であっても、マクロス世界に兵器としての歌を遺したことは、如何がなものなのだろうか。

というようなことを、24年も前のアニメを見て思う。歌エネルギーとか、歌の兵器化とかは次の「マクロスF」ではどうなったんだっけ(こちらは見ていたのだけど忘れた。敵のデザインはまともだった)。


作成: 2018-09-25 19:49:04.0更新: 2018-09-25 21:01:01.0
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