デジカメのはなし

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近頃、道具への愛着と言うものがだんだん少なくなっているのだが、最近デジカメには愛着があるらしいことが判明した。愛着の対象となっているデジカメは Fujifilm のFinePix 4500 (以下4500)である。2000年の暮か2001年が明けた頃購入したので、すっかり5年選手である。そもそもモノ皆デジタル化された昨今では、あっというまに機能が高度化していくので、デジタルデバイスをこれだけ長期間愛用すること自体が珍しい。デジタルデバイスは18ヶ月一世代だから、3世代前のカメラと言うことで、現行機からするとひいおじいちゃんである。実を言うと、私の使っているパソコンは世代交替を上回る速さで更新されているのだが、愛着はない。

4500への愛着の遠因となっているものは、これをディジタルデバイスとしてみているのでなく、カメラと考えていることにあるのだろう。アナログデバイスである光学系を備え、その光学系が命であるカメラは、受光部以降がディジタル化されようと、アナログデバイスとしての風格を備えている。ちゃんとした一眼レフカメラは、銀塩フィルムであろうと、ディジタルであろうと、いまだに価格的にも使いこなせるかというプレッシャーでも敷居が高い。私の中で、一生モノとなるべき特別な機械である、あってほしいという思いがあるではないか。

さらに、この4500 にはおそるべき履歴がある。恋人にプレゼントしたら自分でも欲しくなった、という購入時のエピソードや、ふられることを予定していた恋人と想い出づくりに出かけた沖縄旅行や、意外にもふられるどころか結婚して出かけたイタリア新婚旅行をはじめとして (このときあやうくローマに置き去られるところだった)、二度目のイタリア旅行、シンガポール旅行の忠実な随行者であったことなどである。愛着もわくわけだ。おかげで外観はベコベコである。

このところどうも不調であったのだが、原因がニッケル水素電池のハンドリングミスにあったことがこのほどわかった。注意して使っていたつもりだったがメモリ効果を蓄積してしまっていたらしい。新品の電池やリフレッシュ機能付の充電器で再生後充電した電池をつかったら、非常に調子がよい。コンデンサーあたりがへたって消費電力が異常に大きくなったのかと疑っていた。もしそうなると、経年変化だからいよいよ引退か、とも思っていたのである。

もうしばらくは働いてもらうとしよう。とりあえずは3月の東京お上りさん旅行で(東京からはなれて今年で四半世紀を迎えた。もう立派なお上りさんである)。

fuji-fp4500.jpg

作成: 2006-02-11 09:34:20.0更新: 2006-02-11 09:34:20.0
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