「ローマ人の物語」への帰還

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「ローマ帝国衰亡史」6巻を読了したので、塩野七生「ローマ人の物語」文庫判21の「危機と克服[上]を読んだ。さすがに平易な現代日本語で書いてあるのですらすら読める。ちくま学芸文庫版の「ローマ帝国衰亡史」は初代訳者の中野好夫氏の訳は読みやすかったのだが、二代目の朱牟田氏と三代目の中野好之氏の訳は私の体質に合わない。

ここのところ「衰亡史」ばかり読んでいたのですっかり忘れていたのだが、もともとは塩野氏の「物語」を読み進めていたのだった。しかしこの文庫版がなかなか先に進まないので、間合いに「衰亡史」を読みはじめたのであった。

昔だったら文庫に降りてくるのを待たずに、単行本を買ったと思うのだが、ずいぶんと気が長くなったものだ。

そもそも、「物語」を読みはじめたのは何故かと考えてみる。風が吹けば桶屋が儲かる式であるが、驚くべきことにリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇への傾倒がそもそものきっかけである。たしか1983年が没後100年で、リチャード・バートンが主演した「ワーグナー・栄光の生涯」というテレビドラマシリーズが放映された。ヴァーグナーというヒトは反ユダヤ主義者で (ドラマ中ではヴァーグナーが反ユダヤ演説をする場面で「ニーベルングの指輪」のニーベルングの指導モティーフが流れる)、娘婿のイギリス人がなぜかアドルフ・ヒットラーの師匠筋にあたるという、いろいろとけったいなヒトなのだ。

ヴァーグナーを追いかけていくと、この「反ユダヤ主義」からどうしても「ナチズムの狂気」に辿り着く。そこから発生する疑問は「なぜドイツは狂気に陥ったか」である。そうなると第1次大戦当時のヨーロッパの状況とか、そもそも当時のドイツ帝国ってどんな国だったのかとか、ハプスブルク家やホーエンツォルレン家とかヴァーグナーとも縁の深いバイエルンのヴィステルバッハ家とか、どうでもいいけどブルボン家とか、ヨーロッパ史を遡行していく羽目になる。

そうすると、「多少の出入りはあったにしろ、イタリアは昔からイタリアだったはずだしドイツもポーランドも昔からあったはず」という現在のヨーロッパ国家に基づいた歴史認識と言うのがグッチャグチャになり、いったいヨーロッパとは何なのか、という疑問に到達してしまうのである。

日本にしろ中国にしろ韓半島の国にしろ、「多少の出入り」があってもおおよその国のかたちというのが続いているものだから、ヨーロッパもそうだと思ってしまうのだが、どうもこの亜大陸は事情が全然違うのである。

そこで、「よくできたヨーロッパ通史はないものか」などと言っていたのだが、そんなものが書けないぐらいぐちゃぐちゃなのがヨーロッパらしい、ということが最近やっとわかってきた。

こうなるとやはりローマか、と思ってはいたのだが、「ローマ帝国衰亡史」は大著すぎて敷居がたかいことを中学時代の友人Yによって知らされていたので、躊躇していたわけである。

「ローマ人の物語」も存在は知っていたのだが、正直言って「衰亡史」の口語訳のようなものだろう、とタカをくくって無視していた。たまたま文庫版を手にしたのは「文庫ならいいか」という版型そのものの気安さと、装幀がきれいだったことによる。そこではじめて「衰亡史」では取り扱われていない五賢帝以前の歴史が「物語」では描かれていることを知ったのである。

「危機と克服」中巻・下巻も購入してきたので、しばらくはこれで楽しむことにする。


作成: 2006-02-18 20:59:50.0更新: 2006-02-18 20:59:50.0
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