ショスタコービッチ生誕100年

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今年はショスタコービッチ生誕100年だそうだ。今日知った。それよりもモーツァルト生誕250年の方が騒がれていて、すっかりその影に隠れてしまったようだ。

ということは、これからもモーツァルト生誕 (n+1)×100+50 年とショスタコービッチ生誕 n×100 年が重なりつづけるわけで、哀れショスタコービッチは埋もれやすい年に生まれてしまったということになる。

それにしても、次のショスタコービッチ生誕200年、モーツァルト生誕350年の年に、人類がまだ生存しているとして、果たしてショスタコービッチは忘れられていないだろうか、という疑問も抱く。モーツァルトは大丈夫だと思うのだが、20世紀の作曲家・ショスタコービッチが22世紀に「あ、今年はショスタコの生誕200年か」と思い出してもらえるのだろうか。それとも「そういえばショスタコービッチの生誕200年ではあるのだけど、超マイナーだからモーツァルトだけでいいや。」ということになってしまうのか。

なにしろ生誕100年ということだから、御長寿長者のじいさんならまだ生きている。ロシアに生まれ、ソビエト連邦に生きた人なのである。すなわち、まだ同時代人なのだ。「たしかこの交響曲あたりでスターリンに批判されてえらいことになっていたのだな」とか「この曲はフルシチョフの雪解けでちょっと一息つけたころだな」とか「ソビエト崩壊まで生きていたらどんな曲を作ったのかな」とか想像できてしまうわけだ (わたしゃフルシチョフ時代に生まれたけど覚えているのはブレジネフからですけどね)。

まもなく同時代的な共感というのはなくなる。そのときにショスタコービッチはどう評価されるのだろう。ミーハー交響作品好きとしては、「最後のシンフォニーの大家」として生き残ってほしいと思うけど。

「花曇り ソ連は遠くなりにけり」長塚節もじり 交響曲8番を聴きながら (なぜか8番と15番しか持っていない。せっかくの生誕100年だから3番・7番とか聴いてみよう)


作成: 2006-04-16 11:04:29.0更新: 2006-04-16 11:04:29.0
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