Web 2.0

<< 戻る   トップ >>

Tim O'Reilly "Web 2.0: 次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル" を読んで

感想文

"Web 2.0" はウェブの現状を分析して導かれた次世代ソフトウェアの概念であり、バズワードを弄して詐欺的にビジネスを行おうという試みとは無縁である。むしろ著者は単なるマーケティング用語としての乱用に対して警告すら発している。

著者は、特定のプラットホームに依存したソフトウェアから全てのプラットホームで動作するサービスの提供こそがこれからのソフトウェアのあり方としている。このサービスの提供は独自性があって同じものを作ることがでないデータが中核となり、このデータの作成にはユーザとの共同作業、ブログシステムを始めとする集合知の利用を欠かすことができない。その他、ソフトウェアの作成手法として「軽量(lightweight)」であることを求めているが、これはソフトウェアに緩やかさと寛容を求めているもので、"lightweiht" という語の選択に疑問を感じる (英語のニュアンスなのだろうか)。

ソフトウェアの論理的枠組がサービスにシフトするというところまでは納得するとして、問題はユーザとの連携および集合知の利用である。

ユーザとの連携では、Amazon のユーザによる書評を例として挙げているが、この書評についても何らかの審査なしで公表されるわけでもあるまい。審査がなければ、極端な場合、他のネット書店への誘導や反社会的なコメントすらフリーパスで掲載されてしまうわけだ(試したこともなければ、試す気もないが)。またやはり例として挙げられている Wikipedia では、自己顕示欲の旺盛な自称作曲家が自身の人名を登録しようとした事例を知っているのだが、項目としての適正をボランティアの編集者たちは少なからぬ人・時間的コストを支払ったはずである。ユーザとの連携にあたっては、審査にかかるコストをいかに低減するか、ということが問題となるはずだ。

同様の問題は集合知 (Wisdom of Crowds) の利用にもある。本当に集合知ならよいのだが、しばしば見かけるのは集合痴である。Google のように検索結果の順位の操作に対する防御システムを開発できればよい。しかしながら、Google でさえ誤った内容の審査は行わず、参照頻度をのみを評価しているわけだから、集団痴が発動された場合には誤った情報が Googleの真実とされる可能性もあるのだ (東京鎌田のある電気設備業者が自分の奇妙な主張が Google 検索結果の1位にならないことに不満を漏らしていることから考えると、集合知の実在を信じてもよいのかもしれないが)。集合知と集合痴の判別ができる技術の開発には困難が予想されるだけに、集合知の利用には一定の慎重さや審査コストも要求されるに違いない。

いずれにしても、"Web 2.0" は次世代ソフトウェアの指針として正当に評価できる概念である。ユーザ連携ならびに集合知の利用に関しては、「性善説に基づいたインターネット」商業利用前の "Web 0.0" の時代すら彷彿とさせる。それにしても、「単なるマーケティング用語としての乱用」をしてほしいとも受け取れる "Web 2.0" というネーミングはなんとかならなかったのか。


作成: 2006-09-06 18:13:27.0更新: 2006-09-07 21:42:48.0
http://museo-anonimo.jp/nanban/?id=284,http://museo-anonimo.jp/nanban/tr/284