写真は妻の購入した雑誌の付録である。タイトルは「
もしかしてニキビを自動的にニシキヘビに変換する妙な回路が頭の中にあるのではないか、それはどうして発生したのか、もしかすると幼少時にニシキヘビに襲われたことがあって、記憶から消されたトラウマとなっているのではないかとも思ったのだがテレビの動物番組でニシキヘビを見てもとくに発作を起こした記憶がない。
夕方、妻と買いものに行ったところ、化粧品コーナーのポスターにやはり「大人ニキビ」という文字が踊っていた。明朝体で縦書だったのだが、これを見ても「ニキビ」→「ニシキヘビ」の変換は起こらなかった。ということは、どうやら過去においてニシキヘビに襲われたことはなかったものと思われる。
むしろ、この小冊子のほうが問題であって、ニキビ→ニシキヘビ誤変換を起こす原因はこの表紙にあるのだ。
そうおもっておもむろに観察してみると、二行目の「解決への道」の「へ」に問題があるように思える。「ニシキヘビ」のうち、「にきへび」が一定の面積内に配置されているため、脳が勝手に「シ」を補った上にアナグラム処理を施し、「ニシキヘビ」をつくり出したもの思われる。
思えば、ニキビがニキビであった若かりし日々、ニキビは発生したものの、それで悩んだ記憶がない。一方、特撮番組、というか怪獣番組が好きだったため巨大爬虫類であるニシキヘビには親しみを感じる。一度は (空腹ではない) ニシキヘビを体に巻いてみたいと思っている程だ。このようなニキビへの無関心と、ニシキヘビへの愛が「大人ニキビ解決への道」を「え? 大人ニシキヘビ」にしてしまったのだろう。
ところで、どうせ自動変換してくれるのなら「大人ニシキヘビ」ではなく、「大ニシキヘビ」に変換してくれればある意味で完璧だと思うのだが、どうして「大人」のままにするのだろう。大人ニシキヘビ、無理矢理解釈すると成獣に達したニシキヘビというのは私の視覚野および言語野的には容認されるのだろうか。あるいは「にきびへ」をニシキヘビに変換することに全力を傾けた結果、大人はオトナのまま放置されてしまったのだろうか。
それにしても、二十歳すぎのニキビは「吹き出物」というのではなかったか?確か中学校の理科第二分野でそのように教わった記憶があるのだが。というか、「吹き出物」という言葉がそんなにイヤか? 「大人ニキビ」ならいいのか? 「大人ニキビ」もかなりイヤな表現だと思う。「吹き出物」の方が含羞の優雅さを感じないか? というか、「大人ニキビ」なんて往生際が悪くないか?
よってここに私こと鴨乃嘴南蛮は、表現「大人ニキビ」を誤りと見なし、その日本語からの追放を要求するものである。