タコ漁師考

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このタコ漁師のエピソードは山岸清太郎氏のウェブサイト「本読みHP」「あいうえお順による懇切きわまりない読書ガイド」からの引用である。この読書ガイドに「タコ漁師のあなたに」という記事があり、その中で近藤雅樹『霊感少女論』という作品が紹介されている。

明治期、学制の導入によって子どもたちは誰もが学校に通わなくてはならなくなるのだが、それに反発する親も多かった、という話にエピソードとして紹介されているタコ漁師のセリフである。そのひと言は、百年の星霜を経てなお、その鋭い切れ味を失うことがない。

《「学校の勉強なんか、せんでええ! 倅は、蛸をとるんや! 蛸より、ちょっと頭がよけりゃええ!」》

どうだどうだ!

どんな崇高な学問理念も、この人間の真実を謳ったひと言の前には沈黙せざるを得ないだろう。「蛸より、ちょっと頭がよけりゃええ!」。その「ちょっと」のあたりが、言い知れぬオーラを発していないか。

これのどこが「霊感少女論」の読書ガイドになるのか、というあたりは本文を参照していただくとして、山岸清太郎氏のいうとおり、「蛸より、ちょっと頭がよけりゃええ!」の一言にはおそるべきインパクトがある。たしかにタコを捕まえる、という行為においてはタコよりちょっと頭がよければよいのだ。

しかし、これが「現代においてタコを捕え、生活していく」となるとこうはいかない。まず、この発言が学制導入初期であり、ちょっと前までは身分固定の封建制で文明は閉塞していたというところがミソだ。

明治になって身分がなくなり、職業選択の自由が認められるようになった。こういうと文脈上「タコ漁師の倅でも、タコ漁師以外になる自由が...」という話を予想するかもしれないが、この際タコ漁師の倅はほっといてよろしい。問題は、タコ漁師業への新規参入の門戸が開かれたところにあるのだ。ことによると、タコよりだいぶ頭のよいばかりか、タコ漁師よりもすごく頭のよい人間が新規参入し、伝統漁法より効率よくタコを捕えたり、あるいはタコの養殖に成功したりして、タコの市場価格が下がり、タコの専業漁師は食っていけなくなるかもしれない。

つぎに、封建制度そのものの消失が問題となろう。江戸末期のタコ漁師がはたして網元の配下にいたのか親方や家元に支配されていたのかはわからないし調べる気もしないのだが、おそらく天下御免・フリーの漁師ではなかったはずだ。獲ったタコはタコ漁師の家元(仮)に納め、市場との交渉などは家元(仮)に委託していたものと思われる。家元(仮)が誠実な人であるとは限らないし、家元(仮)が没落したり出奔したり絶滅することだってあるだろう。そうなるとタコ漁師は自ら市場とつきあわなくてはならなくなるのだが、タコより「ちょっと」頭のよい程度ではたして大丈夫か、という疑問が残る。

その他、文明開化によって突然タコそのものがが激しい毒を持つに至ったたり、タコ漁師を襲うようになったり、突然絶滅したり没落したり出奔することだってあるだろう。そもそもタコがとれなくなったらタコよりちょっと頭のよいタコ漁師としてはどうするのか。

まあ、現代にあってはタコ漁師の倅といえど、「蛸よりずっと頭がよい」必要があるだろう。ただし、どれほど勉学を積んでタコより頭がよくなっても、ぜひタコの伝統漁法を受け継いでほしい。勝手だが。


作成: 2007-02-01 11:34:45.0更新: 2007-02-01 17:04:48.0
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