2004年03月27日 «Sat»

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じつは昨日、雑記に「ホモセクシャルの結婚について」というのを書きかけてやめてしまった。「ホモセクシャルに結婚を認めるなんてとんでもない」という否定的な結論を予定して書いていた。論拠は「結婚とはヒトの繁殖のための制度である。」というところだったのだが、子供のできない夫婦や老人の結婚などを考慮すると結婚は必ずしも繁殖のための制度とはいいがたくなってくる (ちなみに繁殖可能なのに繁殖を予定しないヘテロセクシャルの結婚にも否定的な見解を示す予定であった)。また、世界的にみれば繁殖よりもその抑制またはコントロールの方が重要な課題なので、結婚を繁殖と結びつける必然性が乏しくなってくる。結局、人類の存続を阻害しない範囲で、繁殖に従事するヘテロセクシャルカップルに不利になるような条件がなければ、ホモセクシャルカップルも不稔ヘテロセクシャルカップルも認めてよいのではないか、という結論に至ってしまった。正直言って心外ではある。

そもそもそんな雑記を書こうと思ったのも仕事が行き詰ったからで、駄文まで行き詰ってしまったし、一応勤務時間も終わったことなので気分転換に小説でも読もうか、と思い立った。思い立ったのはよいのだが「結婚と繁殖」問題を引きずっていたので小松左京の「復活の日」を読んでやろうかと考えた。不確かな伝聞情報によれば、この作品のテーマは「細菌兵器の暴発で滅亡しかけた人類の繁殖」なので、そのような究極の条件化で結婚と繁殖がどう取り扱われることを想定しているのか興味を持ったのである。しかし、書店へ行く道すがら、なんか重そうなテーマでしかもしっかりハマりそうだな、と思った。ようするにその気が失せて、結局書店では優柔に不断し、何も買わずに帰宅した。

トイレで岩波新書「新撰組」 (松浦 玲) を発掘し、結局これを読んだのだった。


作成: 2004-03-27 21:13:55.0更新: 2004-03-27 21:13:55.0
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