2005年01月30日 «Sun»

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今日は午前中からスキーに行った。よく考えてみれば、初めてスキーをしたのは小学2年生か3年生のときだから、スキー暦だけは長い。ただし、12年にも及ぶ大空白期間があって、1993年末に膝の靭帯を伸ばしてから、2005年の1月3日まで滑っていなかった。今日は再開2回目である。

小学生のころは叔父に連れられてスキーに行った。しかしながら、私は虚弱で運動音痴を売りにしていた少年だったので、足にオモリをつけて (昔のスキー靴やスキーは重かった) 滑りやすい斜面に立つ、という行為になじめず、叔父からは「お前は山を降りたいのか、登りたいのか。登りたいなら登山靴を履け」といわれたりした。なんだかんだいってボーゲンから斜滑降までできるようになっていたのだが、ちょっとスピードが出ると斜滑降ではなく斜滑昇していたのだ (三つ子の魂百までも。今もその癖がでることがある)。とにかく「停止できる保証がないのにスピードは出したくない」という超安全運転指向のスキーをしていたのだ。

中学・高校時代はもしかすると第1のスキーブランク期だったかもしれない。イヤなことはイヤ、といえるようになったし、あまりこのころのスキーの記憶はない。再びスキーに行くようになったのは大学に入ってからである。1年間だけ在籍したアイスホッケー部で足腰は鍛錬したし、克己心も旺盛だったので、再びスキーをやってみる気になったのである。そこで発見したのは、「スピードを出したほうがスキーの制御は容易である」という事実だった。このころにはバイク (原付) や自動車に乗るようになったし、雪よりはるかに硬い氷の上で転んだりスケートリンクの壁に激突したりしていたので、スピードに関する恐怖が薄らいでいた。ようやくスキーを「難行苦行」ではなく、楽しむことができるようになったのだ。

最も、このころは関東平野に住んでいたので別の難行苦行が待っていた。関東の冬といえば乾燥の大地である。雪のあるところに、ゲレンデに到達するのが大変なのである。現在では高速道路網も整備され、1980 年代ほど苦労はしないだろうが、筑波降しの地から雪山までいくのはなかなかの苦労であった。それなりに若かったから日帰りまでやったのだが、出発するのは前日の 23:00 とか当日の 1:00 である。徹夜で運転して滑るのである。睡魔と闘いながら苗場に向かい、栃木県内で居眠り運転寸前であったことも思い出す (実際には何度か落ちていたのではないだろうか)。結局、スキーには難行苦行がつきまとった。

就職して余裕ができて、独身貴族の身分を謳歌し、カネにモノをいわせてさあこれから、難行苦行とは無縁のリッチでバブリーなスキーを楽しもうと、北海道までスキー旅行に出かけた札幌国際で膝の靭帯を伸ばしてしまうとは、とんだ山中鹿之助である。

以来、1995年以降、富山に来てからも、膝の爆弾が怖くてたった30分でいけるスキー場を横目にみるだけだったのだが、今年から再開した。別に膝の状態が好転したわけでもないのだが、運動不足の解消は重要な問題であるし、妻が行きたがるし、妻の運動不足の解消はさらに焦眉の急点であるので膝がどうかなったときはどうかなったとき、と割り切っていってみることにした。

1月3日の復活スキーは、そもそも雪の上にスキーをはいて立てるかが問題だった。実は、スケートに関しては10年のブランクであっさり滑れなくなってしまったという前科がある。ところが、スキーは少年期の難行苦行時代の蓄積が膨大であったせいか、立っていることができるばかりか、ちゃんと滑ることができたのである。いや、私にとって重要なのはあいかわらず「滑れるか」より「停まれるか」なのであるが、停まれたのである。しかもどういうわけかボーゲンで停まるよりも板をそろえて停まるほうが容易なのであった。

今日は前回からまた1ヶ月ほど開いてしまったので、基本技能の復旧にいそしんだのだが、一本 (リフト1本) 目の滑降で妻に異変が。「足が痛い」とのことで、いったんリタイアとなった。足が痛い原因は、骨格や関節、筋肉に関わることとは無縁なのだが、その詳細を記述するのは家内安全の見地から不適切なので省略する。妻を休ませて二本ほどすべり、斜滑降とターン、停止の技量を確認し、周囲への監視もできる余裕ができてきた。ゲレンデ下のレストランに妻を迎えに行くと、復活したとのことなので、もう一本行くことにする。ここで妻からゴンドラに乗って山頂まで行くことが提案される。やや不安を感じたのだが、ひさしぶりに転げまろびるのもよかろうと覚悟してゴンドラに乗った。

さて、妻はスキー中級者である。私は12年前までは初級者であったが、このブランクによって確実に初心者レベルになっている。この事実は、自動車からゲレンデまでスキー板の運搬係が私であり、妻がはるかに重要なストックの運搬を担当している点や、そのスキー板が私のものよりも短いにもかかわらず重いことや、私のスキー靴よりもバックルの数が多い靴を用いてることからも明らかである。この時点で、ともかく妻について降りていき、いざとなったら救出してもらうつもりであった。

さて、そろそろ気がついているのではないかと思いますが、酔っ払いです。もうだめです。妻の甘言にのせられて、雷鳥バレースキー場の頂上までゴンドラで向かった私の運命は? 【以下次号、括目して待て】

【引越し準備情報】 腹筋、背筋、とにかく体中がたがたでそれどころではありません。

作成: 2005-01-30 00:04:57.0更新: 2005-01-30 00:04:57.0
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