中島らもを悼む

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風邪薬ではなく例の膿瘍の痛み止め(錠剤)を飲んだ。まあいくぶん具合はよくなってきたのでブログぐらい書こうか、というわけだ。

中島らも「心が雨漏りする日には」を読んだ。中島らもにはじめて出会ったのは「啓蒙かまぼご新聞」であった。正確には「微笑家族」なのかもれしれない。とにかく連載中の雑誌「宝島」または「プレイガイドジャーナル」のいずれかで見掛けたのである。ながらく高校時代のことだろうと思っていたのだが、調べてみると、この連載は昭和57年以降らしいので大学生になってからだ。

しばしば言われるように、かの「新聞」は、もし「かねてつ」が実在の会社であることを知らなかったら、「架空のかまぼこ屋の広告を装った冗談のページ」としか思わなかっただろう。とにかく、かねてつというのは変な会社だな、とは思ったし、妙に印象に残った。そしてそれが単行本化されたときにハマッたという次第である。この本を見付けたときの喜びは忘れられない。渋谷の本屋だった。ながいこと喉にひっかっかていた魚の骨がとれるような爽快感であった。

たまたま購読していたのが朝日新聞であったこともあり、「明るい悩み相談室」は欠かさず読んでいた。私は作家にハマるととにかく全作品読破に走ったりするのだが、中島らもに関してはそういうハマリ方はしなかった。「超老伝」「らも噺」、わかぎゑふとの共著ぐらいしか読んでいない。おそらく中島らもは「作家」ではなく、あくまでコピーライターと考えていたからであろう。

訃報を聞いたときは「ああ、もうちょっと長生きしてほしかった」と思ったのだが、「心が雨漏りする日には」を読んで「惜しい人を亡くした」と思った。

「啓蒙かまぼこ新聞」を発表した日広エージェンシーに勤める前のフーテン時代の逸話である。『仕事がないのだから早起きする必要がないのに、わざわざ起きる。そしてビールを飲みながらカーテンを細めに開け、窓から出勤していくサラリーマンをみて「へっへっへ」とほくそえむのだ。(略)他人が働きに出るのを見ながら飲むビールほどうまいものはない。』 ... 只者ではない。ふつうなら、『社会からはじき出された疎外感を感じ、眠れない日々を過ごしたりする』はずである。

つくづく、長生きしてもらって「超老伝」のホーサイのような仙人とも狂人とも言える境地のフーテンじじいになって欲しかった。

命日でもなんでもないが、とにかく中島らもの死を悼む。

中島らも年表

作成: 2005-11-14 17:44:34.0更新: 2006-07-30 13:18:17.0
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