永遠に生きたいか?

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「永遠に生きたいか?」答えはイエス。ただし、当然ながら留保条件がある。

なぜ永遠に生きたいかといえば、ポジティブには繁栄し、うまくいけば地球さえ脱出して生きていく人類の未来を見て、それを体験したいからだ。ネガティブには人類の終焉のときに立ち会いたいからだ。生きている限り、繁栄は「昔はポケットに入る電話なんてカーク船長しか持っていなかったのに(©もへじこと北大路公子)ネ、ほえほえ」とかいう感じで繁栄とか進歩とか感じないのかもしれなし、終焉は終焉で「あ、やっぱり」なのかもしれない。それでもいい。行きたい、見たい。

留保条件の一つは、健康であること。例えば末期癌の苦痛のうちに、なぜか死なずに長生きするのはいやだ。

もう一つの留保条件は記憶だ。例えば、50年間の記憶だけ覚えていて、それ以前の記憶は廃棄しながら「永遠に生きて」も意味はないだろう。生まれてきてからの記憶を、普段は朧げでよいが、必要に応じて鮮明に思い出せる記憶力。「昔のことはすっかり忘れちまって、だけど永遠に生きる」のでは、生まれ変わる (前世の記憶戸やらはなし) のと変わらない、と思えるのだ。

記憶を維持しながら永遠を生きる。これは脳の容積が有限である以上、不可能だ。記憶力が衰え始めた今、それは実感となっている。

なんでこんなことを言い出したかというと、アニメ「Blood +」を見たからだ。いまのところ、よくできた吸血鬼譚だ。どこがよくできているかいうと、ヒトの天敵たる吸血鬼の恐怖より、永遠を生きる、しかもヒトの心を持った吸血鬼の悲しみが表現されているからだ。ヒトの心をもたぬ吸血鬼には固有の「心理」というか、情報処理系があるだろうからヒトの苦悩なんかないのだろう。作品中にはそのような固有処理系をもった吸血鬼も登場する。

例によって衛星放送での再放送を見ている。先週の金曜日、作成: 2007-06-28 22:27:32.0更新: 2007-07-15 22:56:02.0

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