自分を見失う

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実は、1月2日の17:36から18:14の間に京王線府中駅の啓文堂書店で自分を見失った。正確には自分を見失っている自分を見出した。「自分を見失っている自分を見出した」とは、まるで下手な哲学者の自己矛盾命題のようだが、とにかくこのように表現するしかない状態に陥っていたのだ。

「自分を見失う」といえばパニックに陥ったり泥酔したりといろいろな見失い方があり、場合によっては周囲に甚だしい迷惑をかけることになるのだが、このときは極めて平静で32時間はアルコールを口にしていなかったので、周囲への加害はなかったはずだ。喪失のきっかけは「NHK イタリア語会話」のテキストと雑誌「MC☆あくしず」であった。

昨春よりイタリア語を学ぶことを志し、NHK 教育テレビの「イタリア語会話」を見ているのだが、まさしく「見ている」状態であって「学んでいる」のではない、という有様である。最近ではもはや学ぶことは潔く放棄して、イタリア人カルテットによるアマチュアコント番組として楽しんでいる。しかしながら、番組は録画しているので、改めて学ぶことは可能でもある。問題は、4月以降テキストを購入していないので、そこらへんをどうしたものか、と思っていたのだが、啓文堂では同テキストのバックナンバーが揃っており、よい機会なので5月号から1月号まで一気に購入しようかと考えた。そこで迷わなければよかったのだが、同じ書棚にはラジオの「イタリア語講座」のテキストおよび CD 一式も揃っており、「イタリア語会話」9ヶ月分+「イタリア語講座 テキスト & CD」10ヶ月分の大人(げない)買いすら可能な状況であり、どうしたものか、と考えてしまったあげく、「よく考えてみれば4月号すらまともに読んでない」という事実に思い当たり、バックナンバーを揃えるにしても4月号を勉強してからでも遅くない、という結論に至り、一冊も買わなかったのだ。

次にイカロス出版「MC☆あくしず」であるが、実はつい魔が差して昨年の正月に1冊購入してしまったのだが、その Vol.3 の特集は「零ちゃんといっしょに戦(や)ろうよ!」であった。どのような雑誌かというと、この特集記事冒頭のキャプションを見ればおおよその見当がつくだろう。「ミリタリー界では 1,2 を争う超人気キャラである零戦。」ここまではよいとして、「ミリオタなら誰でも一度は『零戦が美少女だったら!』と考えたことがあるに違いない。」... 唖然とした。そうか、「ミリオタ」なる人種はこのようなことを考えているのか、よかった、本当によかった、私は「ミリオタ」ではない。と思ったものだ。しかし、このとき再び魔が差しそうになったのである。1年のインターバルがあるとはいえ、ここでこの雑誌を買ってしまってはもはや「魔が差した」というよりも、実は「ミリオタ」でした、ということになってしまう。と深刻に懊悩したわけではないが、やはりやめておくことにしたのだった。

かくして、「イタリア語を学ぶ自分」「ミリオタかもしれない自分」を否定しさったところで、ふと他に面白い本がないかと書棚に目をやると、どうも面白そうな本がない。なにしろNHK語学番組のテキストが全部揃っている大規模な書店なのである。雑誌と流行書しかおいていないちんまりとした書店ではない。これは異常である。異常と言うより非常事態である。このとき、まさしく「自分を見失っている」ことを認識したのであった。

えーと、ここまで書いた後「この項書きかけ」として二日ほど放置したわけですが、いったいどういうオチをつけるつもりだったか忘れてしまいました。おそらく、自分を見失ったまま富山に帰って、パソコンをいじくっているうちに Wine/VMWare/Xen などのエミュレーション/仮想マシン系をいじりたくなり、コンピュータいじって自分を取り戻すというのもちょっと情けない気がするものの、元気です、というようなことが書きたかったのではないかと思われます。


作成: 2008-01-07 09:04:16.0更新: 2008-01-09 13:19:01.0
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