「ばらの騎士」

<< 戻る   トップ >>

愛を諦めて権力を手にした朱儒がいた。既に権威を手にしていた神は、権力をも手にしようと愛に頼る。そして生まれた英雄は、神の望みどおり権力も権威も及ばぬ自由の勝利者であった。権力の陰謀と権威の絶望と不可解な愛とに翻弄され、英雄は倒される。そして英雄を護っていた自己犠牲の愛は権威のみならず権力までも葬り去る。それでも朱儒でも神でも英雄でもない人々は生きていく。Wagner が「ニーベルングの指輪」で描いた、権力と権威と愛の相克劇である。圧巻は権威の神が権力を手中に収めるという目的の中で、手段としてして用いた愛の報復により最愛の娘を捨てなくてはならなくなる「ヴァルキューレ」である。

ところ変わって19世紀のウィーン、侯爵にして元帥の夫人の物語だ。冒頭、いきなり若いツバメといちゃついてるシーンから始まる。全体としてはこの若いツバメが若いツバメらしく若い娘に惚れてしまい、横恋慕する男爵を退けようとするドタバタが収集つかなくなりそうなその時に、元帥夫人が大いなる諦観の下に祝福する、という喜劇なのだが、それを昨年末のドレスデン歌劇場の来日講演の録画放送の録画を見て猛烈に感動しているのである。いうまでもなく、Richard Strauss の「ばらの騎士」、Rosenkavalier である。あの「紅白歌合戦のためにつくられていて、オペラの上演には不適切」なことで有名な NHK ホールでの録画・録音なのだが、ホールが悪くてもよいものはよい、ということがよくわかる素晴らしい演技・演奏だった。とくに、元帥夫人を演じたAnne Schwanewilms が素晴らしい。以前、Wagner マイスタージンガー でエヴァを演じたときにはぎりぎり及第点のエヴァだと思ったものだが (オペラでは出演者に対する脳内補完作業が必要だ。体重 0.1t はあるんじゃないだろうか、というソプラノをか細い少女とみなさなければならない。シュヴァンネヴィルムスのエヴァへの『及第点』とはそれほど多くの補完作業が必要がなかった、という意味での与えられている。声楽家への採点は私の及ぶところではない)、この元帥夫人役についてはいまこそが旬である。かわいい年増であるものの若いツバメを繋ぎ止めつづけることは無理、という役を演じきっていた。

ニーベルングの指輪のヴァルキューレでは、愛する娘を権威を護るために手放さなくてはならない父と娘の別れの場面が実は「指輪の本当の山場」という緊張と感動を生み出しているのだが、「ばらの騎士」でも愛する若いツバメを愛していても、愛するが故に手放す元帥夫人の決断が感動を生み出す。へたなテレビドラマと違ってちゃんと感情移入させるのはリヒャルト・シュトラウスの音楽の力もあるのだろうな。とにかく、終幕の時に録画画面に向かってブラボーと拍手を繰り返してしまいました。

ところで、ゾフィー (若いツバメが惚れる若い娘) 役の森麻季さんを見て、東洋人ってやっぱり出っ歯なのだなあ、としみじみと思いました。


作成: 2008-01-20 19:47:48.0更新: 2008-01-20 19:47:48.0
http://museo-anonimo.jp/nanban/?id=604,http://museo-anonimo.jp/nanban/tr/604