人生の折り返し点

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タイトル「人生の折り返し点」を書いてその言葉の重みに思わず沈黙したくなる。たしかに、先週の金曜日、はからずもそこに立ったことを実感してしまったのだ。

「人生の折り返し点」には様々な定義が可能である。極めて単純なものには、今まで生きてきたのと同じ年月をこれから生きていけるか、というものがあるだろう。無理だと思ったら折り返し点を過ぎている、という考え方なのだが、1000年生きる自信があるなら五百歳が折り返し点なのだ。

このたび私が実感した折り返し点は算術的なものではなく、「これが我が人生最後の経験だ。」というものである。映画や小説では「これが最後の桜かもしれない」などと言って死期を悟る、という場面があるが、この系統だ。これまで「最後」と思ったことがなかったのに、突如最後と悟るのだ。これが桜や紅葉だったりすると死期あと一年未満、ということになるし、「これが最後のヨーロッパ旅行」とか「本州 (北海道・四国・九州でも) から出るのも最後」とか「ウィーンフィルの日本公演は最後」とか「ルノワールの『読書』を上野で観るのも最後」とか「ハレー彗星を見るのも最後」とか彗星によってはヘタをすると最後は最後なんだがつぎに来るのが1000年後、それなら 999 年は生きる予定に入ってるのか、なんてモノもあったりするのだが。

我が人生最後のペヤング超大盛りやきそば

それで、何を最後かと思ったかというと、「ペヤング焼きそば超大盛」を食べるのはこれが最後、と思ったのだ。「ペヤング焼きそば超大盛」と言えば、1970年代のコマーシャルで桂小益(現・9代目桂文楽)扮する焼きそば屋台のおやじが柔道部員たちを相手に「もいっちょいくぅ〜?」といっていた「もいっちょ」をそのまま並列化してパッケージングしたという神をも恐れぬ大盛り食品である。それをお湯でふやかしてフタを開けた瞬間だ。二度と、少なくとも単独の完食を期してこれを食すことはありえない、という確信を得たのだ。その瞬間、ペヤングの焼きそば超大盛りだけではなく、これから「これが最後」であることが徐々にしかし確実に増えていくことを悲しみとともに覚悟したのだ。

かつては大食を誇り、1.5kg のハンバーグを完食した我が胃袋だが、30歳を過ぎてCoCo壱番カレーの 1.3kg 大盛りカレーは挑戦すら諦めた。しかしこれは「もう若くない」かつ「残したらもったいない」という冷徹な判断だったのであって、人生を折り返したのだとは考えなかった。ハレー彗星の次の到来は 2061年だそうだから、長寿に恵まれれば見ることができるのかもしれないが、それにしても1986年に出現したそれを二度と見ることはないだろう、とは思ったが「最後のハレー彗星」とは思わなかった。しかし、今回の「ペヤング焼きそば超大盛」については、諦観を伴った、人生折り返しの最後の「ペヤング焼きそば超大盛」と確信したのだ。

そこそこ長生きするまでに世を去らないかぎり、いつかは、誰にもこの「折り返し」は来る。それを受け入れようとしないヒトもしばしば見かけるが、私は来るものを拒むまい。しかし、それにしても釈然としないのは、やはりその避けがたい折り返しを告げたのが「ペヤング焼きそば超大盛」であったというその一点である。せめて桜とか、天体現象とか、もうちょっとそれらしいモノであって欲しかった。


作成: 2008-01-31 22:17:13.0更新: 2008-01-31 22:17:13.0
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