王朝交代の兆し?

<< 戻る   トップ >>

コンピュータ業界にはどうしたわけか帝政を好む伝統があるようだ。その上、50年にも満たない業界の歴史の中ですでに1度の王朝交代が起こり、もしかすると今まさに 2度目の交代がはじまりつつあるのかもしれない。

この帝国の最初の王朝は IBM朝である。コンピュータそのものが高価で大型であった時代に誕生し、パソコンなる哀れで小さなコンピュータの標準さえ確立した強力な王朝であった。しかし、凋落期にあってはその祖業である大型コンピュータビジネスに固執し、忠実と信じていた宦官に覇権を奪われた。宰相でも将軍でもなく、宦官扱された簒奪者、次の王朝は Microsoft朝である。その Microsoft朝に翳りが見えてきたように思う。

いうまでもなく Yahoo! 買収の件なのだが、皇帝ならでは盤石の経営戦略というよりも、その座を追われつつある皇帝の焦りを感じる。果たして google 朝への移行はあるのか、Microsoft=google の二強冷戦期へ突入するのか。そこで、かつての王朝交代劇を、Robert X. Cringely の名著「コンピュータ帝国の興亡」に従ってふりえってみよう。

IBM朝からMicrosoft朝への交代

IBM は大型コンピュータの覇者であり、富士通・日立といった互換機メーカーには規格の支配者への忠節を尽くさせ、独占禁止法がうるさいのでミニコンピュータあたりでは DEC におすそ分けをし、逆らうものには懲罰を、従うものには憐憫を垂れて君臨していた。

基本的に企業相手の商売をしていた IBM だが、ふと人々がパーソナルコンピュータを買うために支払う金も手に入れることにして IBM PC を作った。そんなちっちゃなコンピュータのOSまでつくるのは面倒だったので、Microsoft に作らせた。ところが、この PC なるちっちゃいコンピュータ、部品はすべてよその会社の作ったものを組み合わせただけのお手軽コンピュータだったから、同じ部品を組み合わせてハードウェア互換機をつくることは難しくなかった。皇帝の恃みの一つは BIOS プログラムの著作権だったが、同じ機能を持つ別の著作物が出現してハード・ソフトともに互換性を備えるようになった。

部品メーカーは切磋琢磨して高性能化をすすめ、その部品を使って互換機が高性能化し、対抗上 IBM PC も高性能化する。このことが繰り返され、PC は皇帝の予想を超えて強力になった。ついに、いくつかの PC をネットワークで連携させれば、ミニコンはもちろん大型コンピュータにすら追いつくことが目に見えてきた。1990年ごろ、いわゆる「ダウンサイジング」の波である。皇帝は黄昏れつつあるといっても大型コンピュータ軍団を捨てることはできなかった。かといってダウンサイジングによって滅びるつもりもなかった。そこで、PCの「標準の支配者」であることを利用して復権と黄昏の遅延を図ったのだが、これが命取りとなった。

このころ、PC は16bit CPU から 32bit CPU の移行期にあった。まず、皇帝は 32bit PC の標準の出現を遅らせた。次に、32bit PC のバスを特許で保護し、互換機の出現を制御することにした。制御するだけでなく、これまでの互換機で得た利益の一部を貢ぐことまで要求したのだ。この暴挙に、互換機メーカーはことごとく叛旗を翻し、別の標準をつくることにした。皇帝は最後の権力、「標準の支配者」の地位すら失ったのであった。

ダウンサイジングの波への遅延・妨害工作に狂奔する皇帝の傍らに侍っていた宦官は考えた。ダウンサイジングされるなら、PC OS の支配者こそが皇帝になる。皇帝の 32bit OS、OS/2 に手を貸してはいるものの、皇帝の遅延工作につきあっていると、在野勢力が高性能 OS を作り、皇帝と共倒れすることになるかもしれない。宦官は皇帝との共同作業から徐々に手を引き、自身の OS に作業の重心を移した。後の Windows 3.1 である。かくして、ハードウェア・ソフトウェアともに支配力をなくし、ダウンサイジングに打ちのめされた皇帝 IBM は野に降だり、かつて後宮の宦官であった Microsoft が戴冠した。

OS で利益はあがるのか?

OS は絶えず改良する必要がある。そもそもソフトウェア製品というのは永遠の欠陥品で、改良の他に根幹からの見直しが必要になることもある。したがって、たまには OS の買い替えも必要になることはわかる。問題は、買い替えの時期について OSメーカーとユーザとの間に意識の乖離があることだ。

自動車の場合を考えてみよう。自動車の買い替えは、10年以上かけていよいよ寿命か、というところで買い換える、クラッシュしたので買い替える (この場合買い替えではないかもしれないが)、ライフスタイルが変わったからあわせて買い替えるなどさまざまな買い替えのタイミングがある。もちろん、ニューモデルが出たから、あるいは新色が気に入った、という理由で買い換える贅沢なオーナーもいるだろう。ここで重要なのは買い替えはオーナーが決めることで、自動車メーカーが決めることではないということだ。

OSの買い替えについても、ユーザーは自動車と同じ感覚で、自分が変えたいときに変えるべきだと考えているはずだ。もちろんこれはかなり乱暴な比喩である。OS と自動車は製品の成熟度が違う。なにしろ現在の OS の状況を自動車になぞらえると、「今年のモデルではセルモーターがつきました。スイッチ一つでエンジンを始動できます」とか、「セキュリティを考慮してメインスイッチを鍵にしました」「ワイパーがつきました。なんと電動です」(自動車の開発史において、セルモーターとキーとワイパーの出現順序は知らないが) というレベルなのだ。新しい OS がセルモーターつきだったらかなり真剣に買い替えを検討するだろう。なにしろ助手がいなくても始動できるのだ。もちろん、OSにセルモーターがつくはずもなく、自動車にセルモーターがついた、ぐらいの重大な変更でなければ買い換えないだろう、ということだ。

Windows 3.1 から 95 へはメモリの制限から本当に自由になったという意味で変更する意味があった。XP

(つづく)


作成: 2008-02-12 13:28:39.0更新: 2008-02-13 13:40:41.0
http://museo-anonimo.jp/nanban/?id=616,http://museo-anonimo.jp/nanban/tr/616