神話は崩壊するか

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よく考えてみれば、「神話の崩壊」という表現そのものがおかしいような気もするのだが、この言い回しは「安全神話の崩壊」などという場面でしばしば使われる。この表現に永らく疑問を感じることはなかったのだが、あさりよしとお「HAL」1巻第9話「ザ・臨界」 (名作です) の登場人物の会話でおかしいということに気がついた。

「... もう! そんな甘い考えだから安全神話の崩壊とかにつながるんですよ!」
「... でももとから神話だしな...」
「そういやそっかー(笑) しょうがないなー (笑・神話じゃあね...)」

そうか、もともとフィクション(神話)なんだから崩壊もへったくれもないなぁ、と笑ったのだが、同時にやはり「神話の崩壊」とは何か、と思うようになったのだ。

神話といえば、真っ先に思い浮かべるのはギリシア・ローマ神話なのだが、これはちょっと置いておいて、その他にキリスト神話やブッダ神話もある。キリスト伝のうち処女懐胎や復活、ブッダ伝の「天上天下唯我独尊」あたりが神話だ。ところが、信仰のある人にとってはこれは神話でなく、真実なのだそうだ (キリスト教でも仏教でもこのあたりを『神話』として、観念的な教義を重視する派閥はあるそうだが)。そうしてみると、「日本の原子力は安全」も「日本の高速道路は地震でも倒壊しない」もそれを信じていた人にとっては、死体が徘徊したり新生児が直立したりするのと同様に真実だったということだ。しかし、死体が徘徊したり新生児が直立したり安全な原子力だったり倒壊しない高速道路は、理性的に考えるとフィクションだから、信じないモノとっては「神話」なのだ。

実は婚前交渉の賜物だったり、死に際に「死にたくない」とか執着したりしたのかもしれないが、なにしろ昔のことだ。それに比べ、臨界事故が起きたり阪神高速道路が倒壊したりと、新しい「真実」は実に容易に信仰を裏切る。結局、信者のいるフィクションを神話と呼び、それがフィクションであることが実証されたときに「神話の崩壊」という表現が使われるのだ。実は、信者にとってさえ、かつての真実がフィクション・神話となるわけだから、「神話の完全な成立」が正確な表現だと思うのだが、これはこれで「フィクションが真理となった」みたいな表現でイヤだな。


作成: 2008-07-10 22:32:31.0更新: 2008-07-10 22:32:31.0
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