勉強のスタイル

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「教科書」を勉強している。今日の午前中は教科書の序文他冒頭部分を筆写した。筆写してみてつくづく思ったのが、データが情報になり、知識になっていく過程の重要さである。知識がさらに進んで蓄積され、統合・検索可能になると「知恵」になる。筆写は、その対象である原文の文字の羅列「データ」から、それを評価しながら要点を読み取ることによる情報化までを行うよい手段であるということだ。それを筆写ではなく、パソコンへの入力で代替できないかというと、できないのではないだろうか。パソコンへの入力では、漢字入力が「ローマ字またはかな字入力ー変換」で行われる。その過程では、漢字は記号として正しいかどうかが照合されるだけだ。そこでは漢字の「かたち」が持つ情報化や知識と知恵への連想への接続はない。

今日、「介護」という単語を何度も書いた。そのうち疑問に思ったのはなぜ「まもる」護が「ごんべん」なのかという疑問だ。「介護」という単語を何回パソコンで変換したら同じ疑問に至るのだろうか。護が「ごんべん」であることに気づいたことが、どれほど多くの知識の獲得と知恵への統合に至ることか。なんだかんだで私は記号としての文字ではなく、書く文字とともに生きているのだ。


作成: 2010-02-23 22:08:33.0更新: 2010-02-23 22:08:33.0
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