昔、Twitterというものが流行ったことがあった

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8月31日の NHK クローズアップ現代は「ツイッター“つぶやき”は社会を変えるか?」というタイトルで Twitter を取り上げた。Twitter が社会を変えるかどうかはわからないが、その勢力拡張という点では一つの山を迎えたのではないだろうか。サービスとして名前を知られるという段階は完了し、使える環境にある人間はとりあえず一度は使い、ハマるものはハマり、そうでないものはアカウントをとったことすら忘れさってしまうだろう。その結果、「Twitter 人口(日本)」というものが多少の出入りを伴いつつも一定化する段階に達しつつあると思う。

私自身は、そのつぶやきに興味がある人物がいるから参加しているのであって、その人がつぶやくのをやめたらさっさとアカウントを抹消して Twitter から手を引くだろう。ためしにフォローを増やしたことはあるのだが、増やした分がノイズとなりその人物のつぶやきが読みにくくなり、元に戻してしまった。

クローズアップ現代では、つぶやきの再送 (retweet) による情報の増殖を Twitter の特徴として取り扱っていたが、特定の人物のつぶやきを楽しむという使い方からすると、retweet は鬱陶しいだけだ。興味深い人物であるのにもかかわらず、retweet を多用するためにフォローを止めてしまった例もある。

Twitter は単なる媒体でしかない。そしてTwitter のユーザ登録には制限はない。利用規約に反すればアカウントを抹消されるが、それでも「なりすまし」事例は発生しているようだ。これと他人名義で登録した携帯端末などを使えば、犯罪に利用することはできるだろう。残念ながら、犯罪する人々のイマジネーションとは予想がつかないほど豊かなのだ。また、情報の増殖能力は一つ間違えると強力な風評被害拡散機能になりかねない。「性悪説的」利用者は後から入り込んでくる。

一時は社会現象となりながら、現在では落ち着くところへ落ち着いたインターネットメディアに SNS、とくに mixi がある。おそらく Twitter は mixi が世界を変えた程度に世界を変えるだろう。そしてわたしにとって mixi は「昔、mixi というものが流行ったことがあった」というほどのモノだ。Twitter も数年後にはこのようなモノになるのではなかろうか。


作成: 2010-09-02 12:33:30.0更新: 2010-09-02 12:33:30.0
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