携帯昼行灯

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先日の東京出張のおり、ANAの機内上映番組「ANA寄席」を聞いた。落語家とその演目は、入船亭扇辰(千早振る)・柳家小満ん(夢の酒)・三遊亭圓丈(シンデレラ伝説)である。そのどれかの噺の枕で、携帯端末に関するあるエピソードが紹介されていた。「近所で犬と散歩していたら、小学生ぐらいの女の子に時間を尋ねられ、腕時計も持たずにぶらっと出たので『わからない』と答えたら『携帯をみればよい』と指摘された。『携帯も持って出ていない』というと『ありえない』と呆れられてしまった」。

師匠は「その女の子にしてみればいい大人が携帯も持たずに外に出ることが信じられなかったようすだが...」とのことだった。携帯不携帯を「ありえない」と言い放つその子の家庭では両親ともに携帯を肌身離さないのだろうか。それも「ありえない」家庭に思うのはこっちの認識が古くなっているのであろうな。

なぜそんなことを思い出したかというと、さきほど携帯を触ってみてびっくり。オフになっている。面妖である。というのも、出勤して携帯をはずしたら充電器に直行させる習慣を身につけつつあり、本日もしかと充電されていたはずなのである。携帯端末ホルダに置くときに誤って電源スイッチをオフにしたか。それにしては「こんばんは」で始まるテキストが起動すると同時に着信したのはなにごとか。起動直後に着信するのは保留されていたものが届いただけなのでそれは構わないのだが、なぜ「こんばんは」か。

今朝、電源の入った携帯をもってきた、と思いこんだために軽い混乱をきたしたのだが、よく考えてみれば話は単純で、昨晩にはすでに電源が入っていなかっただけのことである。どうしてそのような事態になったかといえば、1) たまたま餓死 (電池切れの擬人表現) した、2) みーくんのいたずら などが考えられる。しかし、今回は 3) 昨日義母を見舞った際、病院に入るときにオフにしてそのままオンにしなかった が正解であろう。

噺の枕に登場した女の子が「携帯端末を携帯しているけれど、丸一日電源を入れ忘れて平気な大人」の存在を知ったらどう思うのだろうか。「ありえない」を通り越し、なんとコメントするのか知りたい所だ。


作成: 2010-09-24 14:09:21.0更新: 2010-09-24 14:09:21.0
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