おそるべきスプー ーまたは音痴と絵心ー

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4 月9日の土曜日のことだ。妻の 友人とその娘が遊びにきた。娘さんはみーくんより2ヶ月違いで「歳下」である。妻も加えて三人でNHK の幼児番組の話題で盛り上がってきたときに、その友人がふと「おかあさんといっしょ」の先代の「うたのおねえさん」のとんでもない絵描き歌の噂を口にした。絵描き歌とともに描かれた絵が「伝説」 になっているのだという。

そこでネット検索してみてヒットした画像は、確かに凶悪な怪物の絵であった。絵に書き添えられていた説明に よれば、その怪物はスプーという名前なのだという。一部の画像には、怪物とは似ても似つかない愛らしいキャラクターも添えられていた。そのキャラクターには見覚えがあり、「おかあさんといっしょ」の着ぐるみ劇、グーチョコランタンの登場人物だ。恐ろしいことに、怪物と着ぐるみキャラクター、どちらもスプーなのだ。それに気付くのにしばしの時間を要した。なるほど伝説になるわけだ。

さらに動画も検索できたので、その「絵描き歌」としての制作過程も目にすることができた。画像だけを見ると相当の悪意をもって描かれているように見えるのだが、その動画のなかの「おねえさん」は悪意どころか、むしろ天真爛漫さすら感じさせつつ描き進めていた。

その動画は2006年4月28日に放送されたものだという。平日の「おかあさんといっしょ」ということは生放送ではない。ということは、普通に録画・編集がなされたもので、NHK の厳しい(と思われる) チェックを経ているはずだ。幼児番組で子供たちの愛するキャラクターを出演者が冒涜することは許されないだろうから、かの凶悪な怪物は実は凶悪な怪物ではなく恐ろしく下手な、しかし誠意をもって描かれた絵なのだ。

この「絵が下手」には「絵心がない」という雅な表現がある。「絵が下手」なヒトがうらやましい。私は多少の絵心はあるといって差し支えないだろうと思うのだが、「歌が下手」である。「歌が下手」の「歌心がない」などの雅さを感じさせる表現は寡聞にして知らないが、侮蔑的な表現なら知っている。「音痴」だ。どうして「絵が下手」には「絵心がない」という立派な表現があるのに、「歌が下手」は音痴なのか。不公平ではないか。画痴とか描痴と表現して音痴と同じ地平に降りてこいとはいわない。「絵心がない」と 同じレベルに迫る表現が欲しいのだ。「歌心がない」では和歌に関連して「歌を作るのが下手」というニュアンスになってしまうのだろうが、ほかに何か雅な言い方はないのか。

件の「うたのおねえさん」はものすごく豊かな歌の才能をもっている半面、両親からも「人前で絵を描くな」と釘を刺されていたそうだ。「下手」の表現が二極にわかれるのも、絵を(描くこと)を人前で披露することはない、すなわちライブ性の有無と関連しているのかもしれない。また、この「おねえさん」の絵を独特の才能と評価する向きもあるそうだが、音痴は「独特の歌唱」と独自の芸術性を評価されることはない。どうやら「絵心がない」と「音痴」の間には歌唱芸術と絵画芸術の決定的な違いがあるかもしれない。

ところで、この一文を書いているうちに、もしかすると、「絵心がない」という表現は、絵の下手な人にとっては、歌が下手な人の「音痴」なみに屈辱的な表現と感じている可能性を置き去りにしていることに気がついた。しかし、「音痴」に比べれれば「絵心がない」ははるかに優しい表現であることに間違いはないので、絵の下手な人はそれを甘受すべきだと思う。


作成: 2011-05-19 10:40:03.0更新: 2011-05-19 10:40:03.0
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