妻、救急車に乗る

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4月29日の 19:30 ごろ、妻は陣痛を訴え始めた。妻が世話になっている産院では、経産婦は10分間隔の定期的な陣痛になってから電話連絡することになっている。条件を満たした、と判定されたのが20:30ごろで、産院には21:00前にはついていたように思う。

第二子、自宅にて
結局 5月15日に出産、5日間の産院生活の後 5月20日の我が家へ到着した。

二度目の出産ということで、大過なく進むものと楽観していたのだが*、助産師さんが胎児の心拍を測定する装置の表示を見て小首を傾げている。やや心拍が弱含みなのだという。そうこうするうちに「赤ちゃんが弱っている可能性」が示唆され、医師の診断を仰ぐ。「念のため」大病院に移ることになったのが日付が替わる直前ぐらいだったのだろうか。問題はその「移る」手段である... などと考える間もなく、あれよあれよと言う間に救急車が呼ばれたのであった。

普段だと「これはコンビニ受診に該当しないか」「もっと救急車を必要としているヒトがいるのではないか」と思い悩むこともあるのではないか、と思えるのだが、医師の判断で受入先も決まっているのとなればお何の躊躇も優柔も不断もなくコトが進行していく。助産師から私への指示はただ一つ、「救急車について行ってはいけません。」であって。きっと心配のあまり頭に血が登ってついていくヒトもあるのだろう。たしかに妻の状態が悪ければそれもあったのかもしれないが、10分間隔よりやや短くなったものの、間のある陣痛ではそれほどのこともない。それにしても心配でいつもに増してあやしい運転ではあっただろう。

救急車による搬送より不安がこみあげてきたのは、運ばれた先が救命救急センターであって、診断を待つ間に帝王切開手術の可能性が勝手に膨らんでいったその時である。

結局、センターでの診断では手術の必要なく自然分娩であり、LDR にて出産を待つことになった。すると一連の出来事による緊張のせいか、陣痛は遠のき翌日身一つのまま退院とあいなった。そして、
「そういえば救急車に乗るという稀有な体験をしたわけだが、どうだった」
「おもしろかった」
というのどかな会話で「昭和の日の出産未遂」の件は終わりを告げたのであった。

* お産は毎回様相が異なるのは事実だが、それゆえに必ずしも楽観してよいものではない。

作成: 2011-05-23 14:22:39.0更新: 2011-05-23 14:22:39.0
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